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「生きてる牛はcow、肉になるとbeef」に返ってきた一言、稲・米・ご飯を呼び分ける日本語も大概だった

2026年8月21日 ・ トレンド「cow beef 違い 稲 米 ご飯 英語 rice 呼び分け ノルマン征服」より

英語を勉強していると一度は引っかかるのが、牛はcowなのに牛肉はbeef、豚はpigなのに豚肉はpork、という呼び分けです。8月20日、東京外国語大学でアラビア語を学んだ歌人の千種創一さんがそれを「めんどい」とこぼしたところ、返ってきた一言が的確すぎるとして10万いいねを超えました。日本語だって、田んぼに生えているときは稲、収穫したら米、炊いたらご飯と呼んでいるじゃないか、というツッコミです。

言われてみるとそのとおりで、しかも日本語のほうは同じ植物を3回も呼び替えている。ぐぬぬ、となる気持ちはよくわかります。ただ、両方の言葉を掘っていくと、この2つは似ているようで成り立ちがまったく違いました。

cowとbeefが分かれた原因は1066年にある

英語で生きている家畜と、皿に載った肉の名前がズレるのは、1066年のノルマン征服が原因だとよく説明されます。フランス語(ノルマン・フランス語)を話すノルマン人がイングランドを支配し、上流階級の言葉がフランス語になった。家畜を育てて世話をするのは英語(古英語)を話す側、その肉を食卓で食べるのはフランス語を話す側。だから飼っている間はゲルマン系の名前、食べる段になるとフランス語系の名前が付いた、という筋書きです。

右側のbeef、pork、mutton、veal、venisonはどれもフランス語由来です。beefは古フランス語のbuef、さらにさかのぼるとラテン語のbovem(牛)にたどり着きます。語源辞典のetymonlineによれば英語の文献に現れるのは1300年ごろで、しかも当時のbeefは肉だけでなく生きた牛そのものも指していました。今のようにきれいに役割分担するのは、そこからさらに後の話ということになります。

このネタ、200年前の小説にもう書かれている

面白いのは、この「生きている間はサクソン語、食卓ではフランス語」という話が、ネットのうんちくではなく1819年の小説にすでに登場していることです。ウォルター・スコットの『アイヴァンホー』は第1章から、道化のワンバが豚飼いのガースに謎かけを仕掛ける場面で始まります。

四つ足で走り回っているあの生き物は何と呼ぶ? ガースが「swineだ、そんなの誰でも知っている」と答えると、ワンバはこう続けます。swineは立派なサクソン語だ。ではその豚が吊るされて食卓に運ばれるときは何と呼ぶ? 答えは「pork」。つまり、サクソン人の奴隷に世話をされている間はサクソンの名前で、城の広間で貴族たちに食われるときはノルマン人になってporkと呼ばれるわけだ。ワンバはさらに、雄牛は世話をされている間はサクソンの呼び名のままだが、食べようとする口の前に運ばれるとBeefというフランス人紳士になる、子牛のCalfも同じようにMonsieur de Veauになる、と畳みかけます。

道化の口を借りた、征服された側からの皮肉です。全文はプロジェクト・グーテンベルクで公開されている原書の第1章で読めます。200年前の読者も同じところで「めんどい」と笑っていたと思うと、なんだか親近感がわきます。

日本語の稲・米・ご飯は、もっと細かい

一方の日本語です。田んぼで育っている状態が稲、脱穀して殻が付いたままが籾、精米前が玄米、精米して白くなったのが白米、炊き上がったらご飯や飯、寿司屋ではシャリ。同じものを工程ごとに全部呼び替えていて、cowとbeefの2段階どころではありません。

これは支配者が入れ替わったから起きたことではなく、単純に稲作が生活の中心にありすぎて、工程ごとに名前を付けないと会話が成り立たなかったから、と考えるほうが自然です。関心が強いところほど語彙が細かくなるという、ごく普通の現象ですね。

「英語は全部rice」は、ちょっとだけ盛られている

ただ、元の投稿の「英語は全部riceだ」という部分については、少しだけ補足が要ります。英語にもpaddyという単語があって、これは殻付きの米、あるいは水を張った田んぼそのものを指します。etymonlineによると、マレー語で藁付きの米を意味するpadiが18世紀に英語へ入ったもので、田んぼの意味で使われるようになったのは1948年ごろとされています。

とはいえ、英語圏で日常的にpaddyを口にする機会があるかというと、まずありません。rice plant、brown rice、cooked riceのように、riceに言葉を足して区別するのが普通です。稲と米とご飯を、何も足さずに別の単語で言い分ける日本語のほうが例外的に細かい、という結論は変わらなさそうです。

日本語にも、肉になると名前が変わるものがある

そしてここからが本題です。「肉になると名前が変わるなんて英語はめんどい」と言った側の日本語にも、まったく同じことをしている食材があります。馬肉のさくら、猪肉のぼたん、鹿肉のもみじ、鶏肉のかしわです。

江戸時代、獣肉を食べることは建前として避けられていました。それでも食べたい人はいるので、獣肉を出す店(ももんじ屋と呼ばれました)では植物の名前を隠語として使った、というのが定説です。由来は諸説あって、さくらは「咲いた桜になぜ駒つなぐ」という都々逸から、ぼたんは獅子(猪)に牡丹という取り合わせから、あるいは薄切り肉を皿に並べた形が牡丹の花に見えるから、もみじは古今集の「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の」から、と説明されます。

理由はまるで違いますが、やっていることはワンバの謎かけと同じです。生きているうちは猪、鍋に入ったらぼたん。cowとbeefを笑えた立場ではありませんでした。

それでも英語がめんどいのは変わらない

まとめると、英語の呼び分けは征服という歴史のねじれが言葉に残ったもので、日本語の呼び分けは稲作への執着と、肉を隠したい建前から生まれたもの。出どころはまったく違うのに、どちらも「同じものを場面ごとに別の名前で呼ぶ」という点では並んでしまいます。

もっとも、この話を知ったからといってcowとbeefを覚える手間が減るわけではありません。ぐぬぬと言いながら単語帳に戻るのが正解のようです。