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「風呂をうめる」は方言じゃなかった。辞書を引くと紫式部日記の産湯まで遡る

2026年8月14日 ・ トレンド「風呂をうめる 方言 標準語 うめる 意味 かもす 新潟弁」より

沸かしすぎて熱くなった風呂に、水を足してぬるくする。あれを「風呂をうめる」と言っていた家、けっこう多いと思う。その言い方って方言なんだろうか、という投稿がXで5000近いいいねを集めていた。

言われてみると確かに変な日本語ではある。埋めるって、穴とか堀とかを塞ぐときの言葉のはずで、湯に水を足す行為とは結びつかない。投稿主は新潟弁を疑っていた。

「うちも言ってた」が全国から集まってしまった

リプライを追っていくと、新潟説はわりとすぐ崩れる。千葉、福島、茨城、群馬、埼玉、東京、横浜、静岡の沼津、関西、島根の出雲、鹿児島から山梨に移った一族まで、「うちも言ってた」という声が各地から並んだ。

面白かったのは、言い回しの細かいブレのほうだった。「風呂をうめる」でひとまとまりに使う人もいれば、「熱いから水でうめるね」のように水をセットにしないと落ち着かない人もいる。「風呂をうめる、という文には違和感がある。お湯が熱いからうめるね、なら言う」という指摘もあって、同じ単語でも家ごとに定型文が違うらしい。

祖母が極端に熱い湯を好むので、後から入るときは水をドバドバ入れていた、という思い出話もあった。うめても追いつかないやつである。

辞書に普通に載っている

漢検の漢字ペディアで「うめる」を引くと、「物を詰めてふさぐ」「いっぱいにする」「不足を補う」と並んで、四つ目に「水を加えて湯をぬるくする」がある。例文はそのものずばり「風呂を埋める」。

さらに精選版日本国語大辞典まで行くと、「あたたかさや濃さを適度にするために、他の物をまぜ入れる」という語義が立っていて、その古い用例として挙がっているのが紫式部日記だった。寛弘五年九月十一日、1010年ごろの記述である。

御湯まゐる。〈略〉とりつぎて、うめつつ

この日は藤原道長の孫にあたる皇子が生まれた日で、場面は夕方に行われた産湯の儀式にあたる。湯を運ぶ役の女性たちが、受け取っては湯をうめていた、という描写だ。辞書はこれを湯かげんを整える意味の例として載せている。

つまり平安時代の宮中で赤ん坊の産湯の温度を調整していた言葉が、そのまま昭和の団地のバランス釜まで届いていたことになる。1000年ものである。

方言だったのは「かもす」のほう

騒ぎが大きくなったあと、投稿主は自分で答え合わせをしていた。

「うめる」は標準語で、方言なのは「かもす」だった、という訂正である。新潟では液体をかき混ぜることを「かもす」「かんもす」と言う。味噌汁をよくかもしてから盛る、というふうに使うし、風呂の湯をかき混ぜるのにも使う。全国的な「醸す」は酒や醤油を造ることなので、字面だけ見ると風呂で醸造が始まりそうだが、意味はただの撹拌だ。

これは近隣にも仲間がいて、群馬からは「風呂をうめて、かんます」という報告が来ていた。うめる(水を足す)とかんます(かき混ぜる)が動詞として分業している。東北や北海道の「かます」も同じ系統で、かきまわすが短くなったものとされる。

熱い湯に水を入れただけだと上だけぬるくて下は熱いままなので、かき混ぜる工程には確かに専用の動詞が要る。作業が細かく分かれている地域ほど、風呂を沸かすのが手仕事だった証拠とも言える。

そもそも、うめる必要がなくなった

反応の中で一番うなずいたのは、「そもそも風呂釜がほぼなくなっている今、お風呂を沸かしすぎるということがないですものね」という一言だった。

日本の家庭に本格的な風呂釜が広まったのは1950年代で、排気の逆流事故を減らしたバランス釜が登場したのが1965年ごろ。この時代の風呂は、火をつけて放っておくと際限なく熱くなる。うめる作業は装置の性能ではなく人間の勘で温度を決めていた時代の副産物だった。

流れが変わったのは1983年で、ノーリツが全自動ガスふろ給湯器「GRQ-1600A」を発売している。設定した温度で設定した量が勝手に張られる仕組みが家庭に入ってきて、以降のリモコンは42度なら42度で止まってくれるようになった。うめる機会は、そこから静かに消えていったことになる。

言葉が古びるときは、たいてい先に道具のほうが消えている。「風呂をうめる」が変な日本語に聞こえるようになったのは、日本語が変わったからではなく、風呂が賢くなったからだった。実家に帰って熱すぎる湯に出くわしたら、1000年前と同じことをしていると思いながら水を足すといい。