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鷹島海底遺跡の調査で元寇船から牌、正体は麻雀の祖先「天九牌」

黒い地に白と赤の点が並んだ長方形の牌が、亀のような形に並べられている天九牌の写真
画像: 黒い骨牌のような天九牌(牌九)を並べた様子(CC BY-SA 3.0 / Outlookxp, via Wikimedia Commons)。当サイトで縮小・切り抜きをしています。改変後の画像も同じ CC BY-SA 3.0 で提供します

元寇船から見つかった牌の正体は、中国のゲーム「天九牌」。麻雀の牌の起源ともいわれるもので、麻雀牌そのものではない。

長崎県松浦市は10月28日、同市の鷹島沖の海底に沈む鎌倉時代の元寇船から、サイコロや札のような物が見つかったと発表した(共同通信の記事)。

この日は鷹島公民館で成果報告会があり、市と國學院大学の研究者が、3隻目の元寇船の調査結果を報告した。新たに見つかったのは、牌29個とサイコロ5個だ(KTNの記事)。

TBS NEWS DIGの公式動画には、調査を指揮する國學院大学の池田栄史教授が、見つかった牌について話す場面が入っている。

教授は「天九牌と言って、中国のゲーム。麻雀の牌の起源とも言われている。武器武具類じゃなくて、生活に関するようなものが多い」と説明した。

動画の説明文によると、海底の泥を1m掘り下げた先に、3隻目の船尾部分が残っていたという。調査の現場と、牌の話が同じ映像で見られる。

牌29個とサイコロ5個が出た

調査は10月2日から29日間。海岸から約150m沖、水深20m弱の海底にある3隻目の船を調べていた。

船底にあたる部分が残っていて、中国の陶器などはすでに見つかっていた。そこに新しく牌とサイコロが加わった。

鷹島沖でこの種のものが見つかるのは初めてで、3隻の元寇船のどれからも初めての発見になる(共同通信)。

船尾の位置も確認できた。

  • 隔壁や船底など、当時の中国の船に特徴的な構造が船尾にも残っていた
  • いま残っている部分の全長は約15m
  • 過去の調査で確認した部分と合わせると、全長は約30mと推定される

15mは「残っている部分」で、30mは過去分と合わせた推定だ。この船は、3隻のなかで最大級とみられている。

天九牌は32枚で1組のゲーム

天九牌は、日本語版Wikipediaでは「牌九」の名前で載っているゲームで、牌は「骨牌」とも呼ばれる。

牌はサイコロを2つ並べたようなデザインで、21種32枚が1組。1と4の目だけが赤い。

トップの写真が、天九牌を並べたものだ。黒い長方形の牌に、サイコロの目のような白と赤の点が打たれている(伏せてある牌も多い)。

今回の29個は、1組32枚に近い数になる。ただ、同じ1組なのかどうかは、報道からは分からない。牌の材質も、報じられている範囲では出てこない。

サイコロが5個というのも気になるところだが、牌とどう組み合わせて遊んでいたのかは、まだ語られていない。

麻雀とのつながり

天九牌と麻雀牌は、見た目に似たところがある。たとえば麻雀の6筒と7筒のデザインは、牌九に似ているとされる。

麻雀の成立は19世紀中頃の清だ。陳魚門という人が、カードゲームの葉子と牌九を合わせて作ったという説が有力とされている。

元寇の弘安の役は1281年なので、麻雀が形になるのは、それより500年以上あとの話になる。

つまり天九牌は、麻雀が生まれる前から遊ばれていたゲームのひとつで、「麻雀の祖先」というのはその意味になる。船から麻雀牌が出てきたわけではない。

牌の数も違う。麻雀牌は34種類あり、そのうち13種をそろえるガチャガチャは麻雀牌のmineチャームの記事で扱った。天九牌は21種32枚で、ぐっとコンパクトだ。

調理場のそばで見つかった

牌とサイコロが見つかったのは、調理場とみられる場所だった。近くからは、陶器や包丁とみられる鉄製品も出ている。

池田教授は共同通信の取材に、「調理に関わる人が一服しながらカードゲームをしていたのではないか。船員の暮らしぶりが明らかになった」と話した。

動画で話していた「武器武具類じゃなくて、生活に関するようなものが多い」という言葉と、そのままつながる。

元寇の船といえば、戦いの道具が見つかる場所というイメージが強い。今回は、料理の合間に一息ついて遊ぶ船員の姿が、出土品から見えてきた。

鷹島沖に眠る3隻の元寇船

鷹島沖では、これまでにも元寇船が見つかっている。

  • 2011年 1隻目と判定
  • 2015年 2隻目と判定
  • 2024年 3隻目と判定(発見は2023年)

今回調べたのが、この3隻目にあたる「鷹島3号沈没船」だ(Wikipediaの鷹島神崎遺跡)。

鷹島神崎遺跡は、2012年3月27日に水中遺跡として初めて国史跡に指定された。1281年の弘安の役では、暴風雨で元軍の艦隊が大きな被害を受けたとされている。

発表の翌日には、長崎県教育庁学芸文化課が公式Xで、鷹島海底遺跡の発掘調査現地研修会に職員が参加したと投稿した。

投稿には、元寇に関わる「鷹島3号沈没船」の調査をはじめ、水中遺跡調査の最前線を学ぶ貴重な機会になったとある。添えられた写真には、潜水調査の研修、船上からの視察、教授の講演、松浦市立埋蔵文化財センターの見学の様子が写っている。

調査は水の中の作業が中心で、現場を見る機会は限られる。県の職員が研修として入る場になっていることが分かる。

2026年度の調査には、モンゴルの文化財保護の研究者も参加した。ダイビングの技術を学び、初めて海底での調査を見学したという(KTNの記事)。750年近く前に海を渡ってきた側の国の人が、その船の調査を見に来たことになる。

調査グループは今後、海外の研究機関とも連携しながら、沖合の別の場所にも沈没船がないか調べる予定だ。

ほかの報道は、朝日新聞とTBS NEWS DIGにもある。

雀荘で6筒や7筒が来たら、ちょっとだけ天九牌のことを思い出してみてほしい。

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