遅刻トーストの再現写真が焦げすぎと13万いいね、「遅刻する食パン少女」は少女漫画に実在しない
トーストをくわえて走り、曲がり角で誰かとぶつかる。アニメや漫画で見たことがあるあの場面を、実写で再現した写真がXに上がりました。ところが伸びたのは元の写真ではなく、そこに付いた引用ツッコミのほうです。しかも指摘されたのは、演技でも構図でもなくトーストの焼き加減でした。
焦げすぎのトーストにツッコミが入って13万いいね
元の投稿は8月28日15時45分。ミル(@mi_himasugi)が「トーストかじって交差点でぶつかる」の一言を添えて、路上に座り込んだ写真を上げました。セーラー服姿で、口にはトースト。ぶつかった直後の体勢まで作り込んであります。いいねは8,850、リプライは638件(8月30日11時台の時点)。
で、その写真のトーストがかなり黒い。中央から端まで焦げていて、白いまま残っているのは耳のふちだけです。
翌29日の2時10分、非日常(@pokotimeita)がこの投稿を引用して、こう書きました。「パン咥えて走らないといけないくらい焦ってるのにパン焦がすまで焼くなよ」。焦っている人がトーストを焦げるまで放置できるはずがない、という指摘です。
こちらが131,981いいね(8月30日11時台の時点)。元投稿の約15倍まで伸びて、ツッコミが本編を追い越しました。焦げた理由が演出なのか単にトースターに任せすぎたのかは、本人が書いていないので分かりません。
そもそも「遅刻する食パン少女」は少女漫画に実在しない
ここで元ネタの話です。この場面には「遅刻する食パン少女」という通称があって、Wikipediaに独立した項目まであります。別名は「食パンダッシュ」「トースト娘」「トーストくわえて遅刻遅刻」「パンくわえダッシュ」。基本の筋も決まっていて、少女が朝トーストをくわえて走り、曲がり角で少年と衝突し、その少年が転校生として同じクラスに現れ、やがて恋に落ちる、という流れです。2010年のgooランキングでも、古い少女マンガのあるあるシチュエーションの第3位に入っています。
ところが同じWikipediaの冒頭には、こう書かれています。「ただし、実際の少女漫画で、この内容通りの描写が行われた作品は確認されていない。」
探した人が何人もいます。2005年、ライターの田幸和歌子が少女漫画85作品を調査したものの、食パン・遅刻・衝突・恋の4要素をすべて満たす作品は皆無でした。はいおくは『りぼん』を1970年から1985年まで全部読破した経験から、そういう漫画は存在せず定番の場面とも言えないと断定しています。
お菓子研究家で漫画にも詳しい福田里香も、太田出版のウェブサイトでこう話しています。「60〜70年代のラブコメ系少女漫画群を機会があるたび読みあさっているのですが、どうも該当作がないんですよね。周辺の漫画好きの方々に聞いても、これだ!といった作品が出てこないんです」。個人の記憶違いではなく、探しても出てこない側の話だということです。
元祖より先にパロディが来た『サルまん』
では最初に描いたのは誰か。福田が初出として認定しているのは、相原コージ・竹熊健太郎の『サルでも描けるまんが教室』です。1990年に『ビッグコミックスピリッツ』で連載された第9話で、少女漫画でウケるストーリー展開の見本として、作中漫画の形で描かれました。
ここがややこしいところで、『サルまん』のそれは元祖ではありません。少女漫画にありがちなパターンとして紹介する側、つまりパロディです。Wikipediaはこの状態を「元祖より先にパロディが登場することになる」と書いています。ネタにされた本家が見つからないまま、ネタにした側だけが残っている格好です。
竹熊健太郎本人の証言も残っていて、はいおくがメールで尋ねたところ「直接的な典拠はなく、いくつかの事例を複合した」という回答だったそうです。中学生だった1970年代半ばの時点で、すでに一種のパターンだという認識が世間にはあった、とも答えています。さらに2020年には、執筆当時は「『少女漫画の定番ネタ』だと本気で信じて」いたと述べ、初出が『サルまん』であること自体を否定しました。描いた本人が、あると思って描いていた。
近い場面が無いわけではありません。1962年、長谷川町子『サザエさん』で磯野ワカメが食パンを口にくわえて家を飛び出す場面があり、これが最古とみられています。1967年の本村三四子『パティの初恋』にはパンをくわえて家を出る少女が出てきますが、そのパンは食パンではなくコッペパン。1980年頃の『ガラスの仮面』では、北島マヤが遅刻しそうになりながら食パンをくわえて走ります。部品はあちこちに散らばっているのに、4つ揃った1本が出てこない、という状況です。
定番として広めたのは綾波レイだった
決定打になったのは少女漫画ではなくアニメでした。1996年3月27日放送の『新世紀エヴァンゲリオン』最終回、第26話です。碇シンジの妄想という設定で、食パンをくわえた綾波レイが登場します。しかも転校生なのはレイの側で、基本の筋とは逆のパターン。福田里香は、人気キャラクターの綾波レイがこれをやったことで、この場面が定番として世間に定着したと見ています。
エヴァ由来の言い回しが今も残っている例としては「逃げちゃダメだ」もあります。90年代の少女漫画とアニメの記憶が現物として出てくることもあって、風鈴を買ったら『ママレード・ボーイ』の紙袋が出てきたという話もありました。
広告と自治体が今も使っている
このお約束は現役です。2018年、敷島製パンが読売新聞の全国版に全面広告を出しました。ライトノベル『弱キャラ友崎くん』の七海みなみが学生姿でパンをくわえて走るイラストに、「パンだって、走らなくちゃ。」のコピー。2日間でリツイートを含め2985件のツイートが付き、推定リーチは419万人で、第35回読売広告大賞の優秀賞を受賞しています。パンを作っている会社が、パンをくわえて走る絵で広告を打ったわけです。
2022年1月17日には新潟県が「遅刻するおむすび少女プロジェクト」を始め、1月24日に新潟米PRのYouTube公式チャンネルへ動画を投稿しました。県の言い分は、アニメや少女漫画で「遅刻する食パン少女」のイメージが行き渡ったせいで日本人が朝に米を食べなくなった、だったら「遅刻するおむすび少女」という新しいイメージを作ればいい、というものでした。実在が確認できない場面が、県の米PRでは仮想敵の扱いです。
実在しない場面を、全員が細部まで覚えている
出典が見つからず、描いた本人も複合だと言っていて、それでも通称が付いてWikipediaに項目があり、広告にも自治体のPRにも使われている。そして再現写真が出れば、焼きすぎだと即座にツッコミが入る。
誰も見たことがないはずの場面なのに、細かい仕様まで共有されている状態です。朝は忙しい、だからトーストは焼きたてを口にくわえて出る。この筋が通っているから、真っ黒なトーストが引っかかる。次に再現写真を撮る人がいたら、焼き時間だけは気をつけたほうがよさそうです。