「ゼウスの掟」を先に知ってから観ると『オデュッセイア』が変わる、古代ギリシャの客人ルール「クセニア」
9月11日公開のクリストファー・ノーラン監督作『オデュッセイア』。日本での試写会に字幕監修者として登壇したギリシャ神話研究家の藤村シシンさんが、8月26日に「ゼウスの掟」の話を投稿しました。
試写を観た人からの感想で多かったのが「ゼウスの掟だけは事前に聞いておいてよかった」だった、という内容です。この投稿のあと「ゼウスの掟」はYahoo!リアルタイム検索の急上昇ワードに入りました。まだ観ていない人が「なんだそれは」と調べに行った形です。
ゼウスの掟=クセニア、旅人は問答無用でもてなす
ゼウスの掟は、古代ギリシャ語でクセニア(xenia)と呼ばれる決まりのことです。ざっくり言うと、訪ねてきた旅人は、どこの誰だろうと手厚くもてなさなければならないというルールになります。
現代の感覚だとただのマナーに聞こえますが、古代ギリシャではこれが神の管轄でした。ゼウスには「クセニオス(客人を守るゼウス)」という側面があり、客人をぞんざいに扱うのは無作法ではなく神への違反という扱いになります。『オデュッセイア』第9歌では、オデュッセウス本人が「よそ者や嘆願者はゼウスが守っている」と口にしています。
作法もかなり具体的です。まず食事と寝床を出す。名前や素性を聞くのは、相手が腹を満たしたあと。帰るときには土産を持たせる。名乗る前にもてなすというのが順番で、身分も敵味方も関係ありません。
もうひとつ大事なのが、この掟が主人側だけの義務ではないことです。客の側にも、長居しすぎない・家をむさぼらないという義務がある。ここが効いてきます。
これを知っていると、登場人物の行動が全部つながる
『オデュッセイア』はクセニアを守る側と破る側の話として読めます。
キュクロプスのポリュペモスは、洞窟に入ってきたオデュッセウス一行にもてなしを求められて、「俺はゼウスなんか怖くない」と言い放って仲間を食べます。掟の完全な破壊です。だから目を潰されて追い出されるのが、物語の理屈としては筋が通っている。
逆に、漂着してぼろぼろになったオデュッセウスを名前も聞かずに迎え入れ、船まで出して故郷へ送り届けるパイエケス人の王アルキノオスは、理想的な主人として描かれます。豚飼いのエウマイオス(映画ではジョン・レグイザモが演じます)は貧しい奴隷の身分ですが、乞食の姿をしたオデュッセウスをきちんともてなす。掟に金持ちも貧乏も関係ないことが、ここで示されます。
そしてイタケの王宮です。ペネロペに群がる求婚者たちは、20年近く人の家に居座って牛や羊を食い続けている。あれは「客なのに客の義務を踏み倒している」状態で、だから帰ってきたオデュッセウスが皆殺しにしても、この物語の中では罰として成立する。ロバート・パティンソンが演じるアンティノオスは、その求婚者たちの筆頭です。
さらにさかのぼると、トロイア戦争の発端そのものがクセニア違反でした。客として招かれたパリスが、主人メネラオスの妻ヘレネを連れて帰ってしまった。客が主人の家から人を持ち出したわけで、これはギリシャ側から見れば戦争の理由になります。
予習は「掟がある」の一行で足りる
「なんでこの人たち、見ず知らずの相手をこんなに歓迎するんだ」「なんで求婚者は追い出されないんだ」。ここで引っかかると最後まで引っかかり続けます。逆に、掟がひとつあるとだけ知っていれば、そこは全部「そういう世界だから」で流せる。予習が要るのはここだけで、原作の筋書きまでさらう必要はありません。
藤村シシンさんは、高校生のときに『聖闘士星矢』から古代ギリシャ史に入って東京女子大学大学院で西洋史を修めた人で、2020年の東京五輪の採火式ではNHK生中継で古代ギリシャ語の同時通訳をしています。字幕監修がこの人だと知っただけでも、劇場で細かい言い回しを気にしながら観たくなる。
原作を読み切る時間はなくても、ゼウスの掟だけならこの記事で足ります。9月11日、そこだけ頭に置いて行ってみてください。