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文豪エピソードの原典、子規の「うなぎ代」は漱石が本人の口で語っていた

2026年9月13日 ・ トレンド「文豪 エピソード 逸話 太宰治 芥川 ノート 正岡子規 夏目漱石 蒲焼 森鴎外 饅頭茶漬け 谷崎潤一郎 転居 内田百閒」より
椅子にもたれて頬杖をつく夏目漱石の肖像写真
画像: 夏目漱石の肖像写真(Public domain / Ogawa Kazumasa, via Wikimedia Commons

教科書で名前だけ覚えた文豪が、私生活ではとんでもない奇人だった。この手の話はXでもまとめサイトでも定期的に回ってくる。正岡子規が夏目漱石の家に居座ってうなぎ代を踏み倒した、森鴎外が饅頭をご飯にのせて茶漬けにして食べた、太宰治が学生時代のノートに「芥川」と書き続けた。読むたびに面白いのだが、たいてい出どころが書いていない。誰が言い出したのかも分からないまま、事実の顔をして流れてくる。

なので5つぶん、原典を当たってみた。結論を先に書くと、いちばん信じがたい子規の話がいちばん証拠が硬い。漱石が自分の口で喋って、雑誌に載って、そのまま青空文庫に入っている。無料で全文読める。

子規のうなぎ代を払ったのは漱石、そう漱石自身が雑誌で喋っていた

漱石が「正岡子規」と題して語った談話が残っている。初出は俳句雑誌「ホトトギス」の1908(明治41)年9月1日号で、青空文庫は筑摩書房の全集を底本にこれを収録している。本文は青空文庫の「正岡子規」で読める。話し言葉のまま起こされているので、書き出しからもう笑える。

正岡の食意地の張った話か。ハヽヽヽ。そうだなあ。

舞台は漱石が松山の中学で英語を教えていた時分。そこへ子規が現れる。

なんでも僕が松山に居た時分、子規は支那から帰って来て僕のところへ遣(や)って来た。自分のうちへ行くのかと思ったら、自分のうちへも行かず親族のうちへも行かず、此処(ここ)に居るのだという。

実家にも親戚の家にも寄らず、友人の下宿に直行して「ここに住む」と宣言している。漱石は続けて「僕が承知もしないうちに、当人一人で極(き)めて居る」と言っている。下宿は上野家の裏座敷で、間取りは「二階と下、合せて四間あった」。漱石が二階、子規が下。のちに愚陀佛庵と呼ばれる建物だ。

問題はここから。子規は毎日のように昼になると出前を取る。

其から大将は昼になると蒲焼(かばやき)を取り寄せて、御承知の通りぴちゃぴちゃと音をさせて食う。それも相談も無く自分で勝手に命じて勝手に食う。

蒲焼はうなぎのこと。人の下宿に住み着いて、断りもなく自分で注文して、音を立てて食う。他の御馳走も取り寄せていたらしいのだが、漱石は「僕は蒲焼の事を一番よく覚えて居る」とわざわざ念を押している。よほど記憶に焼き付いたらしい。

そして東京へ戻る日が来る。

それから東京へ帰る時分に、君払って呉(く)れ玉えといって澄まして帰って行った。僕もこれには驚いた。

「僕もこれには驚いた」。文豪の感想としてはずいぶん素朴だが、これが本人の言葉だ。しかも話はまだ終わらない。

其上まだ金を貸せという。何でも十円かそこら持って行ったと覚えている。

うなぎ代を押し付けたうえで、現金も借りていった。

オチは奈良から届いた「使い果たしました」の手紙

その十円がどうなったか。子規は帰り道に奈良へ寄って、そこから漱石に手紙を出している。

恩借の金子(きんす)は当地に於(おい)て正に遣(つか)い果(はた)し候

借りた金は当地で使い切りました、という報告だけ。返す話は一文字も出てこない。漱石はこの引用のあとに「とか何とか書いていた。恐らく一晩で遣ってしまったものであろう」と続けている。一晩で溶かした、という見立てまで本人がしている。

同じ談話には、ネットではあまり出回らないくだりも入っている。試験前になると子規が漱石を呼びつけてノートの中身を口頭で説明させた話(漱石いわく「正岡という男は一向学校へ出なかった男だ」)や、冬に便所へ火鉢を持ち込んでいた話。その火鉢の使い道がまた変で、漱石はこう続ける。

それで其火鉢で牛肉をじゃあじゃあ煮て食うのだからたまらない。

便所に持っていった火鉢で牛肉を煮る。奇癖エピソードとしてはうなぎより強いのに、なぜかこっちは拡散していない。全文が無料で読めるのだから、興味が湧いたら原典をそのまま読んだほうが早い。

鴎外の饅頭茶漬けを書き残したのは、娘だった

森鴎外(1862〜1922)の饅頭茶漬けも有名なほうだ。虎屋文庫の「森鴎外と饅頭茶漬け」によれば、鴎外は潔癖症で、果物も野菜も生では口にしなかったとされる。生の果物すらダメな人が、饅頭に茶をかけて食べていた。

作り方を書き残したのは長女の森茉莉で、『貧乏サヴァラン』(ちくま文庫)にこうある。

つめの白い清潔(きれい)な手でそれを四つに割り、その一つを御飯の上にのせ、煎茶をかけてたべるのである。

饅頭を四等分して、そのうち一切れをご飯にのせ、煎茶をかける。丸ごと放り込むわけではなく、一切れだけというのが妙に几帳面だ。肝心の味についても茉莉は書いている。

父とたべた想い出もあるが、支那のお菓子のようだったり、淡白(あっさり)した、渋いお汁粉のようだったり、どっちも美味しい。

渋いお汁粉。言われてみると、あんこと緑茶なら相性が悪いはずがない。同じ話は次女の小堀杏奴『晩年の父』にも出てくると虎屋文庫は紹介している。姉妹の二人がそれぞれ自分の本に書き残していることになる。

太宰の「芥川」ノートは、現物が日本近代文学館にある

太宰治が学生時代のノートに「芥川」と何度も書いていた話は、伝聞ではなく現物が残っている型だ。日本経済新聞は2013年5月11日に「太宰、青春時代ノートに落書き 「芥川」と何度も」という記事を出している(全文は会員限定)。太宰の日記やノートなど資料22点が、東京・目黒の日本近代文学館に寄贈されたという内容だ。

来歴もはっきりしている。元青森県立図書館長の横山武夫が、太宰の実兄で元青森県知事の津島文治から受け取ったもので、それを遺族が保管していた。同館の発表を伝えた共同通信の配信記事によると、問題のノートは旧制弘前高校時代のもので、表紙には「地鉱 津島修治」とある。地質鉱物学の授業の書き取りに混じって「芥川龍之介」と何度も書かれている、という説明だ。寄贈された22点には、人物の絵が描かれた半紙や、旧制中学3年だった1926年の日記も入っている。太宰が弘前高校時代に創刊した同人誌「細胞文芸」の表紙や、ペンネームの構想を書いたと見られるページもあるという。まとめ画像で回ってくる話の裏に、実物の紙がちゃんと残っている。

本への書き込みつながりでは、図書館の本の「強かな」に鉛筆で「力」と訂正、直した人のほうが間違っていたという話もある。紙に残った書き込みは、書いた本人の想定しないかたちで後から読まれる。太宰については、『人間失格』がイギリスだけで7万5000部、太宰治ブームの火付け役は2016年のアニメだったという現在進行形の話も別に書いた。

谷崎の「40回以上の引っ越し」は、企業の迎賓館ページに載っている

谷崎潤一郎が引っ越し魔だったという話も、出どころが意外なところにある。京都の下鴨神社の境内、糺の森に面した邸「石村亭」は、いま日新電機の迎賓館になっている。谷崎が「潺湲(せんかん)亭」と名付けて愛した家で、1956年12月に明け渡すまで住んでいた。その日新電機の「谷崎潤一郎との約束」にこう書いてある。

生涯に40回以上も転居した谷崎ですが、潺湲亭は、62歳から70歳までの7年7カ月間という、谷崎の生涯で最も長い期間に居を構えた場所となりました。

40回以上というのがまず多い。しかも生涯で最長の滞在が7年7カ月なので、単純に割ると一軒あたりの平均はかなり短くなる。家を譲り受けた企業が自社サイトに書いているというのが、この逸話のいちばん確かな部分だ。

現代編、宮部みゆきはタクティクスオウガを17周していた

奇癖は昔の人の専売特許ではない。まんたんウェブが2012年4月20日に出した「ブック質問状」の宮部みゆき回に、担当編集者が本人に聞いた答えとしてこう載っている。

やったゲームタイトルはきりがないんだけど、一番やったのは『タクティクス・オウガ』かなあ。死者の宮殿も含めて、ぜんぶで17周はやったと思う

17周。しかも「死者の宮殿も含めて」とわざわざ断っているのが効いている。本編をクリアするだけでも長いのに、やり込み用のダンジョンまで毎回付き合ったうえでの17回という意味だ。小説家の趣味の申告としては桁がひとつ違う。

逆に、出どころが辿れなかったもの

全部が全部きれいに裏が取れたわけではない。内田百閒が借金のことを「錬金術」と呼んでいた、という話は方々で紹介されているのだが、どこが初出なのかを今回は突き止められなかった。孫引きの孫引きで回っている可能性がある以上、この記事では「そう紹介されることが多い」という以上のことは書かない。

子規が漱石の下宿に何日いたか、という数字も同じ扱いにした。よく見る日数はあるのだが、松山市や子規記念博物館のような公的な出どころで確認できなかったので落としてある。逸話の面白さは日数では決まらない。

原典は、だいたいタダで読める

今回いちばんの収穫は、漱石の談話が青空文庫にそのまま入っていたことだった。スマホで開いて5分で読み終わる長さで、うなぎも火鉢も全部その中に入っている。まとめ画像で読んだ話を、本人の口ぶりで読み直すとぜんぜん印象が違う。

文豪の奇行ネタを見かけたら、人名と一語で検索して青空文庫に当たってみると当たりを引くことがある。著作権が切れている人たちなので、原典が無料で転がっている確率がわりと高い。

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