「鬼武者」武蔵と三船敏郎が似てない訳、モデルは20代の三船
カプコンの『鬼武者 Way of the Sword』が2026年9月4日に発売された。主人公は剣豪・宮本武蔵で、その顔は昭和の名優・三船敏郎。実在の俳優をフェイスモデルに立てたことは、発表された時から大きな話題になっていた。
ところが検索窓に「鬼武者 三船敏郎」と打つと、二番目に出てくる候補が「似てない」だ。「三船敏郎 若い頃 鬼武者」「三船敏郎 鬼武者 比較」も並んでいる。言われてみると確かに、頭の中の三船敏郎と画面の武蔵がうまく重ならない。この違和感には、開発陣が発売のかなり前にはっきり答えを出していた。
狙ったのは『七人の侍』の三船ではない
答えはファミ通に載った開発者インタビューにある。どの映像作品の三船に近いのかと訊かれたディレクターの二瓶賢氏は、こう答えている。
「特定の作品をイメージして作ったわけではないので、具体例を挙げるのは難しいかもしれません。年齢設定的には20代半ばなので、顔は『銀嶺の果て』(1947年)、『野良犬』(1949年)、『羅生門』(1950年)のころの三船さんが近いと言えます」
ここがズレの正体だ。武蔵の年齢設定が20代半ばなので、合わせにいった三船も若い。三船敏郎は1920年4月1日生まれ。挙げられている『銀嶺の果て』は1947年公開で、そもそも三船のデビュー作にあたる。当時27歳だ。『野良犬』が1949年、『羅生門』が1950年で、どれも30歳になるかならないかの顔になる。
一方、「三船敏郎」と言われて多くの人が浮かべるのは、『七人の侍』(1954年)の菊千代か、『用心棒』(1961年)と『椿三十郎』(1962年)の浪人あたりだと思う。ヒゲも眼光も完成しきった、あの顔だ。ゲームの武蔵とは7年から15年ぶんも離れている。同じ人でも30代なかばから40代と20代では顔つきが違うわけで、「似てない」の正体はほとんどこの年代差ということになる。
資料は白黒ばかり、ほくろの位置から詰めた
もうひとつ効いているのが素材の問題だ。苦労した点を訊かれた二瓶氏はこう答えている。
「残っている写真や映像からフェイスモデルを作ったのですが、資料は白黒のものがほとんどでした。そのため、肌の色味やほくろの位置など、三船プロダクションと連携しながら丁寧に作り込ませていただきました」
白黒写真からは肌の色が読み取れない。日焼けの具合も、頬の赤みも、モノクロだと全部グレーの濃淡に潰れる。20代の三船が出ている作品はどれもモノクロ映画で、カラーで撮られた三船はもっと後の年代にしかいない。若い三船の顔をフルカラーの3Dで起こすには、白黒から色を推定する工程が必ず挟まる。三船プロダクションと突き合わせながらほくろの位置まで確認した、というのはそういう作業だ。
ちなみに三船が実際に宮本武蔵を演じた1954年の映画『宮本武蔵』(稲垣浩監督)は、東宝初のイーストマンカラー作品として撮られている。武蔵を演じた三船はカラーで残っているのに、ゲームが狙った年代の三船はモノクロしかない。なかなか意地の悪い巡り合わせだ。
「武蔵を演じたから選んだ」ではなかった
そのまま流れで気になるのが起用の理由だ。1954年の『宮本武蔵』で武蔵をやっているから選ばれたのか、とインタビュアーも訊いているのだが、二瓶氏の答えは違った。
「宮本武蔵を演じられていたからという理由ではないですね。宮本武蔵は泥臭く戦うリアルな侍の姿が似合うキャラクターで、三船敏郎さんがそのイメージにぴったりだったのがフェイスモデル採用の決め手でした」
過去の役ではなく、三船という俳優が背負っているイメージのほうを取った形だ。ついでに書いておくと、カプコンの発表資料によれば、『鬼武者』シリーズはこれまでも明智左馬介や柳生十兵衛といった日本で著名な偉人を主人公にしてきた。今回はそこから一段広げて、世界的に名前の通る宮本武蔵を持ってきた。世界に名前が届いているキャラクターに、世界に名前が届いている俳優を当てた形になる。
顔だけが三船で、声は別という点も押さえておきたい。武蔵の声は細谷佳正が担当していて、三船の担当はあくまでフェイスモデルだ。「鬼武者 三船敏郎 声優」で検索すると迷子になるやつなので、先に書いておく。
試作版ができても、まだ交渉していた
三船プロダクションとのやりとりについては、プロデューサーの門脇章人氏が答えている。
「初めてお話させていただいてから、起用が決定するまでにはかなり時間が掛かりましたね。ゲーム開発では試作版ができるころでも、出演交渉はまだ続いていました。二瓶からも話がありましたが、宮本武蔵のキャラクター性を引き出すために三船さんの起用は外せませんでした。日本を代表するサムライスターですし、カプコン社内では昔から『鬼武者』の主人公として候補に上がっていたとも聞いていました」
試作版が動いている段階でまだ交渉中というのは、開発としてはかなり危ない橋だと思う。最初から三船ありきだったのかと重ねて訊かれた門脇氏は、「そうですね。三船さんの起用は絶対条件のひとつだったので、粘り強く交渉をさせていただきました」と返している。落ちたら作り直しになる条件を絶対条件と呼んでいるあたり、腹の括り方がすごい。
交渉の進め方も具体的だ。
「窓口にはゲームを知らない方もいらっしゃったので、具体例をお見せして『こんなふうになります、こう使わせていただきます』というのを説明しつつ、実際に作ったものを見てもらうのをくり返しました。クオリティーには感心していただけたので、そこはよかったです」
口で説明するより現物を見せたほうが早かった、ということらしい。ゲームの中で故人の顔がどう動くのかは、言葉だけでは想像がつかないはずだ。同じカプコンが逆転裁判25周年のカプコンカフェみたいな企画で見せてくる手堅さを思うと、この地道さはらしいといえばらしい。
佐々木小次郎は「佐々木巌流」の名で出ている
武蔵と来れば佐々木小次郎が気になる人も多いはず。この点を訊かれた門脇氏は、インタビュー当時(2025年3月)は「佐々木小次郎については、SNSなどでも言われているのをよく目にしますね。こちらについては、続報をお楽しみに、ということで……」とだけ答えて、明言を避けていた。
その続報はもう出ている。公式サイトのキャラクター紹介には武蔵のすぐ次に「佐々木 巌流」が並んでいて、紹介文は「佐々木小次郎の名でも知られる武芸者」。声は岡本信彦で、体験版でも清水寺のステージに宿敵として立ちはだかる。武蔵と同じ「鬼の篭手」を腕に着けている、という設定つきだ。
巌流というのは小次郎が名乗ったとされる流派の名で、決闘の舞台が船島から巌流島と呼ばれるようになったのもここに由来する。つまり小次郎の別名をそのまま持ってきた形で、隠していたというより呼び方を変えていただけ、ということになる。
三船の武蔵三部作のほうは、『続宮本武蔵 一乗寺の決斗』(1955年)を経て『宮本武蔵 完結篇 決闘巌流島』(1956年)できっちり巌流島までやっている。ゲームが同じ島まで行くのかどうかは、遊んで確かめるしかない。
なお、予習しておくべき三船映画はあるかという質問に対する門脇氏の答えは、「とくに予習の必要はありません。強いて挙げるなら全部ですかね(笑)」だった。身も蓋もない。
武蔵の顔に違和感があった人は、『七人の侍』ではなく『野良犬』や『羅生門』の三船を並べて見比べてみてほしい。たぶん印象がかなり変わる。カプコンの近況だと『モンハンワイルズ:アセンダンス』の東京ゲームショウ2026出展も控えていて、9月は忙しい。