「ソーラン節」はニシン漁の歌、振り付けの正体は漁の所作
ソーラン節は、ニシンを網から汲み上げるときに歌った作業唄だ。ニシン側から見れば、本当に「自分たちを捕まえに来る専用の曲」になる。
言い出したのは、ムグラシ(@fkgwfkgw)さんのこの投稿だった。
10月10日の朝に投稿され、いいねは14万を超えた。運動会で踊らされた記憶はあっても、歌の中身まで考えたことがある人は少ない。言われてみれば、ヤーレンソーランと威勢よく歌っている相手はニシンなのだ。
元の名前は「沖揚げ音頭」
ソーラン節の発祥とされる北海道積丹町の公式サイトに、歌の由来がそのまま書いてある。元の名前は「沖揚げ音頭」だ。
網起しによって集められた鰊を船着き場に陸揚げするため、大きなタモ(網)で鰊をくみ上げる時に歌うことから、名付けられた歌。
タモは、柄の付いた大きなすくい網のこと。網の中で暴れるニシンを、漁師たちが声を合わせて船へすくい上げていた。その掛け声の「ソーラン ソーラン」が、そのまま曲の名前になった。
上の写真はニシン漁を再現したジオラマで、2艘の船の間に網を寄せ、漁師たちが網からニシンを汲み出す場面になっている。この作業のときに歌っていたのがソーラン節というわけだ。
ニシン漁の歌は全部で4曲ある
意外と知られていないのが、ソーラン節は単独の民謡ではないという点だ。積丹町のサイトは、こう説明している。
一般的に知られているソーラン節(沖揚げ音頭)とは「正調鰊場音頭」を構成している四編の中の一編だということは意外と知られていません
残りの3曲も、全部ニシン漁の工程ごとの歌だった。
漁場へ向かうところから、網を起こし、汲み上げ、最後に網についた卵を叩き落とすところまで、1曲ずつ割り当てられている。ニシン目線だと、捕まえに来る歌どころか、来てから卵を回収し終えるまでフルコースで歌われていたことになる。
子叩き音頭あたりはもう、ニシンにとっては追い打ちでしかない。
歌っていたのは出稼ぎの「ヤン衆」
春のニシン漁の時期になると、東北や道内各地から出稼ぎの漁師が集まった。彼らは「ヤン衆」と呼ばれ、網元が建てた大きな番屋、いわゆる「鰊御殿」に住み込んで働いた。
大人数で重い網を引き、タモを振るう作業だから、息を合わせる掛け声が要る。4編の音頭は、その掛け声が歌になったものだ。
南中ソーランの振り付けも漁の動き
学校で踊るソーランの多くは、北海道稚内市の稚内南中学校で生まれた「南中ソーラン」が元になっている。この振り付けもニシン漁から来ている。
稚内南中の公式サイトによると、きっかけは1991年(平成3年)。先生たちがテレビCMで伊藤多喜雄の「ロックソーラン」を聞き、「これは子どもに間違いなく受ける」と直感したのが始まりだった。
ただ、困ったことに踊りの教本が無かった。
正調ソーラン節には教本があっても、ロックソーランには無く、ソーラン係の先生たちがニシン漁一つ一つの所作から踊りの振り付けを考え出しました。
つまり、あの踊りはダンスとして一から考えた動きではなく、ニシン漁の作業を踊りに起こしたものだ。運動会で汗だくになって踊っていた時点で、漁師の動きを全校でなぞっていたことになる。
ロックソーランで踊りはじめたころの衣装はTシャツにジーンズで、先生たちは一世風靡セピアのビデオも見て研究したという。ソーランそのものは1986年(昭和61年)の文化活動発表会ですでに披露していて、そのときは女子が歌い、男子が踊った。
ロックソーランを歌った伊藤多喜雄は、2003年に「TAKiOのソーラン節」でNHK紅白歌合戦にも出場している。
「ソーランで学校が立ち直った」は学校が否定
南中ソーランには、よく知られた美談がある。荒れていた学校がソーランをきっかけに立ち直った、という話だ。
これについては、稚内南中が公式サイトのQ&Aではっきり否定している。否定しているのは「ソーランのおかげで」の部分だ。
「南中ソーランは荒れの中で生まれた」、「ソーランで学校が良くなった」という間違った話も広がり、正確な事実を書き残して置くことが大事になっています。
同じQ&Aによると、学校が荒れていたこと自体は事実で、ピークは1984年(昭和59年)ごろ。ただ、生徒たちが立ち直りを宣言する学年集会を開いたのは1985年12月で、当時の記録に「ソーラン」の文字は出てこない。ソーランの初披露はその翌年、1986年の文化活動発表会で、ロックソーランを取り入れたのはさらに後だ。
立ち直りとソーランは時期も中身も別の話で、テレビや映画が2つを結びつけて劇的な物語にしたというのが学校側の説明になる。ソーランのほうは、落ち着いた学校で先生たちが子どもにウケそうな曲を見つけ、振り付けを手作りしたのが本当の経緯だ。
ニシン目線の怖さは史実どおり
まとめると、ソーラン節はニシンを網から汲み上げる作業の歌で、仲間の歌があと3曲ある。南中ソーランの振り付けも、その漁の動きを先生たちが踊りに起こしたものだ。
「捕まえに来る専用の曲」というツッコミは、盛っているどころかかなり正確だった。次にどこかでヤーレンソーランが流れてきたら、網の中のニシンの気持ちを少しだけ想像してみてほしい。
歌の由来をもっと詳しく知りたい人は、積丹町の「ソーラン節のふるさと」、南中ソーランの誕生の経緯は稚内南中学校の公式サイトで読める。