東大総長選挙で投票2位が総長に、決めるのは「意向投票」でなく選考会議
東大の次の総長に、教職員の意向投票で2位だった藤垣裕子教授が選ばれた。総長を決めるのは投票ではなく「総長選考・監察会議」という仕組みだからだ。
投票したのに1位が選ばれない。そこに「え、なんで?」とざわつく声が上がった。
投票の結果と決定
投票があったのは9月28日。有資格者は2,583人で、東大の公式記事によると、1回目では誰も過半数に届かなかった。
そこで上位3人による2回目の投票になり、染谷隆夫候補が1,107票で過半数を取った。藤垣教授は553票で、2番目だった。
票数だけ見ると、1位と2位はほぼダブルスコアだ。それでも同じ28日のうちに、総長選考・監察会議は藤垣教授を次期総長予定者に選んだ。
東大新聞は、意向投票で1位でない人が選ばれるのは総長選挙の制度ができて以降初めてとみられる、と伝えている。
決めるのは選考会議
東大の総長は、学内外の委員でつくる総長選考・監察会議が選ぶ。意向投票は、その会議が参考にする材料のひとつという扱いだ。
東大が公表した選考理由と選考過程の文書には、材料が並んでいる。
- 候補者の所見
- 推薦書
- 面接
- 所信表明動画
- 意向投票
これらを踏まえて「総合的に検討し、議論を尽くして選考を進めた」と書かれている。
選考理由は、文理融合や学内外のコミュニケーションを通じて、より開かれた大学への変革を実現する力がある、というものだった。
会議は8時間ほど
東大新聞の会見記事によると、会議は28日の13時ごろから21時ごろまで続いた。無記名の投票で意思確認を何度も繰り返したという。
翌29日の会見で、国谷議長は意向投票とのズレについて、批判が全くないとは思わないが大きな問題が生じるとも思わない、という趣旨を話した。意向投票はあくまで選考資料の一つだ、とも説明している。
性別は議論の対象にならなかった、とも同じ記事にある。
「選挙」が改名した理由
東大の意向投票には100年を超える歴史がある。東大新聞の解説によると、始まりは1914年の沢柳事件のあとだ。
当時の山川健次郎総長が教授会の意見を聴いたのが最初で、1918年の制度改革で教員による選挙になった。翌1919年の初回では、山川総長がそのまま留任している。
流れが変わったのは国立大学の法人化から。2003年に成立した国立大学法人法で、学長は選考会議が選ぶ形になった。
さらに2015年の法改正で会議の権限が強まり、東大は「選挙」という呼び名を「意向投票」に改めた。名前のとおり、いまの投票は「意向」を伝えるものという位置づけになっている。
投票した側の反応
いちばん広まったのは、東大の教員でもあるという落合陽一さんの投稿だ。9月29日の夕方に出て、いいねは約2.9万件ついた。
投票してすぐ結果が出るので大差だと思っていたら、2位の先生が選ばれて「横転」。何のために時間を空けて投票したのか、とこぼしつつ、最後は「おめでとうございます!」で締めている。
Xでは、ほかにもこんな声があった。
- 「決戦投票で1人に決めたら全く文句出なかったんじゃねぇかなぁ」
- 「母校の学長選も2位選出の人が何故か学長に選ばれてて」
選び方の順番を変えればよかったのでは、という意見もあれば、自分の大学でも似たことがあったという思い出話もある。制度どおりの手続きと、投票した側の肌感覚がずれたのがざわつきの正体だ。
就任は2027年4月
藤垣教授は総合文化研究科の教授で、文部科学大臣の任命を経て第32代総長になる予定だ。任期は2027年4月1日から2033年3月31日までの6年間。
東大で女性が総長になるのは初めてになる。東大は来年に創立150周年を迎える予定で、藤垣教授は会見で、その節目を初の女性総長として迎えることが社会へのメッセージになると話した。
「投票で決まる選挙」だと思っていた人ほど驚いたニュースだった。大学の学長選びは、実は投票がゴールではない。自分の大学の決め方も、一度のぞいてみると面白いかもしれない。