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「一枚板の廊下」の正体は旧毛利家本邸、台湾産ケヤキ8メートル

2026年9月21日 ・ トレンド「旧毛利家本邸 毛利博物館 一枚板 廊下」より
唐破風の車寄せを構えた旧毛利家本邸の玄関。手前は砂利敷きで、右手に博物館・庭園の券売所が建つ
画像: 旧毛利家本邸の外観(CC BY-SA 3.0 / TT mk2, via Wikimedia Commons。当サイトで縮小・切り抜きをしています。改変後の画像も同じ CC BY-SA 3.0 で提供します

9月19日の夜、びるまち(@BIRUMACHIOSAKA)さんが投稿した1枚の写真が伸びた。障子の並ぶ長い廊下を撮っただけの写真なのに、床に継ぎ目がない。「この廊下の床、一枚板なんだぜ····っ!!」というひと言だけの投稿に、2日で17万を超えるいいねと400件以上の返信が付いた。

写真をよく見ると、右手は障子、左手には「応接室」の札が掛かっていて、天井からは吊り下げの照明が2灯。床の木目は途中で途切れず、奥の暗がりまでそのまま続いている。X上では、そもそもこれがどこの建物なのかを調べ始めた人が何人もいた。

場所は山口県防府市の「旧毛利家本邸」

答えはすぐ出た。山口県防府市多々良にある旧毛利家本邸、いまは毛利博物館として公開されている建物だ。旧長州藩主・毛利家の本邸で、2011年に国の重要文化財に指定されている。

公式サイトによると、唐破風の玄関を持つ約3,300平方メートルの建物で、客室数は60室、畳数は780畳。建材については「皇室御料林のヒノキ、屋久島の神代スギ、台湾のケヤキなど、国内外の良質な材を使用して建てられています」と書かれている。台湾のケヤキ、という単語がここで出てくる。

公式の邸宅マップは①玄関(車寄)、②応接室の順に並んでいる。バズった写真に写っている札も「応接室」なので、あの廊下は玄関を入ってすぐのあたりということになる。ちなみにその応接室は、公式の説明で「和風建築の毛利邸にあって唯一洋間として作られている」部屋だ。

床板は長さ8メートル、幅1.5メートルのケヤキが2枚

肝心の寸法は、国土交通省(観光庁)の地域観光資源の多言語解説文データベースにはっきり書いてある。旧毛利家本邸の解説文にはこうある。

車寄せの天井板に木目が美しいケヤキの木が使われているように、珍しく貴重な木材が邸内全体でふんだんに使われており、毛利家の富と地位を伝えています。例えば邸宅の最初の廊下の床は、それぞれ長さ8メートル、幅1.5メートルの大きさの台湾産ケヤキの平板2枚でできています。

長さ8メートル、幅1.5メートルの板が2枚。「一枚板なのに2枚」で混乱しそうだが、廊下1本を板2枚で張っているという話で、1枚あたりが8メートルある。幅1.5メートルというのも冷静に考えるとおかしくて、廊下の幅いっぱいを1枚で取っているということだ。直径1.5メートル以上に育ったケヤキから、長さ8メートルの板を割れも節も避けて2枚取る。しかも同じ木目でそろえる。

これを100年以上前に台湾から船で運んで、防府の現場まで入れて、反らせずに床として張って、いまも歩けるようにしてある。引用で「この板、どうやって中に入れたのでしょうか?」と聞いている人がいたが、そこが一番の謎で合っている。

なおX上では「長さ11.3メートル・厚さ20センチ」という別の数字も回っていた。ただ国交省の解説文にも毛利博物館の公式サイトにも見当たらなかったので、この記事では裏の取れている8メートル×1.5メートル×2枚のほうを採る。

柱は木曽ヒノキ、広間の引き戸は屋久杉

同じ解説文は、床の続きでほかの材にも触れている。

柱や直交梁には、同じ木曽ヒノキが使われています。このほか広間の引き戸には、屋久島の神代杉である屋久杉が使われています。

木曽ヒノキと屋久杉と台湾ケヤキが、ひとつの家の中で普通に同居している。公式サイトの部屋ごとの説明を読んでいくと、これがまだ序の口だと分かる。食事ノ間は天井が春日杉の格天井で、周囲に神代杉の巨大な鏡板。公爵・毛利元昭の書斎は床柱に桑の玉杢が使われている。奥浴室の浴槽は大理石で、当時から給湯設備が入っていて蛇口をひねれば湯が出た。

決めてから完成まで24年、天皇が3度来た

建物の来歴もなかなかで、萩城が1874年に取り壊されたあと、毛利家は代々治めた土地に住まいを持っていなかった。毛利元徳公爵が山口に新しい本邸を建てると決めたのが1892年。ところが戦争が続いて工事が始まらず、着工は1912年、完成は1916年。決断から24年が経っていた。設計は建築家の原竹三郎で、国交省の解説は「巨大で複雑な建築でありながら、良質な材料と最新の技術を効率よくまとめあげたところが、近代和風建築の粋とされています」と紹介している。

住宅として使われたのは1916年から1966年までの50年間。その間に大正天皇が一度、昭和天皇が二度、合わせて三度の訪問を受けている。邸内で唯一2階建てになっている客間棟はそのために建てられた棟で、大広間から後ろの客間へ抜ける隠れ通路があり、要人が誰にも会わずに移動できるようになっている。庭も平成8年に毛利氏庭園として国の名勝に指定された。

つまりあの廊下は、家の自慢として作られた飾りではなく、天皇を迎える前提で組まれた家の入口部分ということになる。

下関の「長府毛利邸」とは別の建物

反応を読んでいて気づいたのが、場所の取り違えだった。山口県には毛利家ゆかりの邸宅がもうひとつあって、下関市長府の長府毛利邸がそれにあたる。こちらは長府毛利家第14代当主・毛利元敏が建てたもので、下関市公営施設管理公社の案内によると完成は明治36年(1903年)。紅葉の名所として知られていて、防府の旧毛利家本邸とは別の建物だ。

実際、「毛利邸なら行ったはずだけどー、と思って調べたら、私が行ってるのは長府(下関市)の方で、こちらは防府市にある方か」と書いている人がいた。「毛利邸」でざっくり覚えていると、けっこう踏む。一枚板の廊下があるのは防府のほう、と押さえておくと間違えない。

「一枚板って廊下で聞くんだ、机だけだと思ってた」

反応でいちばん多かったのは、一枚板という言葉の使いどころへの驚きだった。「一枚板って廊下で聞くんだ…机だけだと思ってた…すげぇや〜!!!!!」という声のとおり、ふだん一枚板といえばテーブルの天板で見る言葉だ。それを歩く床でやっている。

「一枚板の廊下とか初めて見た…すご。突板とかじゃなくってことだと、歪みとかたわみとか出ないもんなんだろうか。」と、100年もったこと自体を不思議がる声もあった。素直に「廊下に一枚板!なんという贅の極み」と書いている人もいれば、「祖母の実家の廊下がこんな感じで、欅の一枚板だった」と身内の家を思い出している人もいた。その人は、家を継いだ親戚が合板のフローリングに替えてしまったのが惜しい、とも書いている。

建物そのものが展示物になっているという意味では、床に敷き詰めたアメを来場者が持ち帰るところまで含めて成立する現代美術の話や、館内の傘立てがゲームボーイポケット型でそれ自体がグッズになったニンテンドーミュージアムの話にも近い。順路の途中ではなく、足元や設備のほうに見どころが埋まっているタイプだ。

毛利博物館は9時から17時まで開いていて、庭園だけなら500円で入れる。写真で見るぶんには継ぎ目のない木の板でしかないが、8メートルの1枚を実際に端から端まで歩けるところは、そう多くない。山口に行く用事があったら、防府で降りて足元を見てみてほしい。

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