映画『オデュッセイア』の犬「アルゴス」の正体はポデンゴ3世代
9月11日に公開されたクリストファー・ノーラン監督の『オデュッセイア』で、劇場を出た人がそろって検索している単語があります。「犬」です。3時間の叙事詩スペクタクルを観てきたはずなのに、Xの感想は「アルゴス」でいっぱいになっている。
20年ぶりに故郷へ帰ったオデュッセウスを、乞食の変装ごしにただ一頭だけ見抜く老犬。あの犬の名前がアルゴスで、そこから先の「本物の犬なのか」「犬種は何か」「原作にもいるのか」が、いま全部まとめて検索されています。
スタッフロールに載っていた「犬の役者」
まず本物かどうか。観た人が先に気づいていました。
「スタッフロールにアルゴス(犬)の役者名が二匹分あって、あれほんものの犬だったんだ……パペットとかではなかったんだ……となりました」。CGだと思って観ていた人ほど、クレジットで足を止めたパターンです。
答え合わせは、VFXの取材記事に載っています。AV Watchの記事によると、アルゴスが生きている時期は三世代のポデンゴ・ポルトゥゲスという犬種が演じ分けていて、20年が経って打ち捨てられた瀕死の老犬の状態だけが、カリフォルニア州サウザンドオークスの工房 Animal Makers が用意したアニマトロニクスでした。同じ工房は、キルケーの島で狩りの標的になるイノシシも作っています。
つまり、走り回っている元気なアルゴスは実在の犬で、いちばん直視できないあの場面が作り物だった、という順番です。子犬時代の映像が挟まるのも含めて、犬を飼っている人にとっては事故のような構成になっている。
犬種にすぐ反応した人もいました。
ポデンゴ・ポルトゥゲスには短毛と剛毛の2タイプがあり、劇中のアルゴスはひげの伸びた剛毛タイプに見える、という話です。
ポデンゴ・ポルトゥゲスはポルトガルの猟犬
日本ではあまり見かけない犬種です。FCI(国際畜犬連盟)の犬種標準を見ると、原産国はポルトガル、分類は「5G スピッツ・原始的な犬種」の「原始的な猟犬」。大・中・小の3サイズがあり、それぞれ交配されずに別々に維持されています。
面白いのは犬種標準の歴史のところで、「古代にフェニキア人とローマ人がイベリア半島へ連れてきた犬に由来する」と書かれています。さらに15世紀以降、小型のものがポルトガルの帆船でネズミ捕りとして選抜されたとも書いてある。ホメロスが歌った時代の地中海と地続きの犬、という筋書きが一応立つわけで、アルゴス役に選ばれた理由としては据わりがいい。
ただし「ホメロスの時代からこの姿でいた犬種」ではありません。3サイズ2毛質という今の形に整理されたのは近代以降で、大型の犬種標準ができたのは1953年です。古いのは血の出どころで、犬種としては新しい。
原典のアルゴスは、糞の山の上で待っていた
名前が原作と同じらしい、という驚きも多く流れていました。こちらは本当で、ホメロスの『オデュッセイア』第17歌にそのまま出てきます。
しかも原典のアルゴスの置かれ方は、映画よりさらにひどい。オデュッセウスが遠征前に自分で育てた犬なのに、一度も猟に使わないまま主人はトロイアへ行ってしまう。20年後、帰ってきた主人が見たのは、家畜小屋の前の糞の山に寝かされ、ノミだらけになった老犬でした。
アルゴスは主人に気づいて耳を伏せ、尻尾を振ります。でも、もう歩み寄れない。オデュッセウスのほうは正体を隠している最中なので、豚飼いのエウマイオスに見られないよう涙をぬぐって、「あそこの犬は立派な体格だな」と他人のふりで尋ねる。エウマイオスが「あれは遠い国で死んだ主人の犬でして」と答え終わるのとほぼ同時に、アルゴスは死にます。
20年待って、主人だと分かった瞬間に息を引き取る。この落とし方が2700年ぶん語り継がれてきたわけで、映画館で通用しないはずがない。
「うちの犬の名前がアルゴスでした」
感想を追っていると、犬を飼っている人・飼っていた人の話が次々に出てきます。
建築評論家の五十嵐太郎さんは、実家の犬の名前が「アルゴス」だったと書いています。父親が『オデュッセイア』から名付けていたので、映画に出てきて「おおお!」となった、と。飼うなら名前はアルゴスにする、という投稿もいくつも流れていました。
3時間ある大作で、キュクロプスも巨大な波もIMAXで押し寄せてくるのに、帰り道でいちばん話題になっているのが痩せた老犬というのは、なかなかの結果です。動物の出てくる場面がつらい人向けに、どこで身構えればいいかを共有している投稿も出回っているので、心配な人は先に探しておくといいかもしれません。
『オデュッセイア』は全国公開中。作品の背景については映画公式サイト、撮影とVFXの裏側はAV Watchの解説記事に詳しく載っています。